4月から働き始めました(ウエハースより)

花豆さん。お手紙拝受。

5月には展示もあるとの事で、これが公開される頃には松山に滞在中とかかもしれませんね。
お住まいから離れたところでの開催は運搬もそうですが、設置なども大変そうですね。
遠隔での展示の場合、工夫していること、楽しみなことなどありますか?
愛媛といえば道後温泉ですね。こちらにいると湯船に浸かる機会がほとんどないので、温泉が恋しいです。と思ったところで、距離的にはだいぶ離れているので。そもそも滞在せずに設置もお任せしてしまうという事だってありえるんだと気づきました。僕が四国にまだ行った事がないので行ってみたい気持ちが溢れ出て先走ってしまいました。

こほん…。こちらは日も長くなり、暖かい日も増えてきたどころか夏日になる日も出てきました。ただ夏日も1ヶ月に1回くらいなんか変に暑い日があるという感じでここのところの最高気温は19度とかで、空気も乾燥しているので日陰にいるとひんやりします(そんな1ヶ月1回位の夏日がなぜか僕がエントリーしたフルマラソンの日に当たりジリジリと太陽に焼かれながら走る羽目になったのはイジメかと思いました。沿道には熱中症で倒れたと思しきランナーのかたが何人も……)。晴れてるなぁと油断すると雨に降られたりと相変わらず変わりやすい天気です。ここのところ風の強い日がそんなにないのが救いです。

そんなオランダで4月から働き始めました。週に1回こちらに住んでいる日本人(あるいは日本にルーツのある)中学生に日本語で社会を教えることになりました。まだまだ始まったばかりで手探りな部分も多いですが試行錯誤しながらどうにかやっています。

それにしてもどじょう。やはり一緒に暮らし愛でていると見分けがつくのですね「こいちゃん」はちょっと色が濃くて「うすちゃん」はほんとわずかに色が薄い「ドジョ子ちゃん」は最初に来た子なのではないかと推察してみましたが果たしてどうか。少し調べてみるとどじょうは15年くらい長生きする場合もあるのですね。
そういえばどじょうを飼うきっかけは何かあったのでしょうか?息子さんは魚を捌いたりなさるとお聞きした事があるので魚類好きそうな印象がありますがそれも関係してそうですね。

うつの話、引き続きありがとうございます。「閾値下うつ」という状態わかる気がします。天気や疲れやショッキングな出来事などが原因で心が大きく塞ぎ沈み込んでしまう日などもあり、それがいつもより深く沈んでいる時などはそれに近いのではないかと思います。こうやって名前を付け定義されているからこのやりとりもできるのだろうなと思っています。哲学の話も多くの場合「〇〇」とは何かを説明する場合にその前提となる言葉の定義などをしっかり「名付けていく」というプロセスがしばしば求められているように思います(ここが固い表現になることが多いので哲学を往々にして難しいという印象を持たれがちですが人の生きる信条や心情にも関係するのですごく身近なものだと思います。これは余談)。
あとかまいたちとか日常で起きた出来事を妖怪にして名付けてしまうというのも同じような名付けの効能な気がしました。「怖い」の多くは確かに「未知」「無知」からきているように思います。
ただ一方で気をつけないといけないのは名前をつけたことで「それはそういうもの!」と決めつけられてしまってレッテル貼りされてしまう、本当は他の事柄なのに強引に名付けられた事柄に引っ張られていってしまうという事も起こり得るのでそこは常に気をつけていかないととも思っています。こういう事を書いていると世の中これが正解、これは間違いみたいなわかりやすく分かれているものより、そうじゃない事の方が多いなぁと思う事しばしです。個人の思いは間違ってないけれどその結果の導き出された行動は決して正しいとはいえないとかもよくありますし、名前をつけ、向き合うことができたからと言ってその何かがすぐにどうこうなるわけでもないなどとも。
ところで発達障害やいわゆるメンタルの症状って「今の社会」をある程度正しいものとして、そこにうまく馴染めないイレギュラーな行動や心情をそのように定義している部分もあるように感じていて、社会の仕組みや通念みたいなものが変わった時にこれまで「障害」とされていたものが障害ではなく、逆にそれまで「障害」と名付けられていなかった症状、行為、状態が障害へと変わることもあり得るのではなどと思ったりしています。「当たり前」って実際のところ全然「当たり前じゃない」とでも言えばいいのでしょうか。
名前の有無は別にしても様々な人を受け入れられる社会になったら本当にいいですし、そういう社会の方が楽しそう。

小泉さんも以前、文通をしていたとの事ですが、今と違って当時はメールではなくて実際に筆で便箋にしたためて、ポストに投函してたわけですが、そうすると夜中に書こうが変な文章だろうが自分で書いたものは手元には残っていないので「あの時の手紙はなんか変だったかもな」とその余韻だけが自分に残るわけですが……その手紙を読んだことありますか?

僕は高校時代の恩師と今でも交流があり、お店をやっていた時もちょくちょく顔を出してくれたり、店番を代わりにしてくれた事もあります。そんな恩師がある時「ネイちゃん。はいこれ。」(「ネイちゃん」は高校の時のあだ名です)って封筒を渡してくれました。その封筒の表には宛名が書いてありそこには恩師の名前があったので「なんで自分に宛てた手紙を僕に渡してくるんだ?もしかして認知機能にゴニョゴニョ」と思いかけた矢先、なんだか筆跡に見覚えがある事に気づきました。裏面に書かれた差出人を見ると案の定、僕が恩師に書いた手紙でした。

「ぐえぇ」

と反射的に声が出てしまいましたが、手紙なんか書いたのか俺?いつ?認知機能にゴニョゴニョはむしろこちらの方だったという状況に思わず中の便箋を広げて読んでみると、それは大学1年の頃の自分が書いたものでした。読みながら自動車免許の合宿中あまりにも暇で手紙を書いたのをぼんやりと思い出しました。
本来なら自分で再び読むことなんてないはずの手紙をうん10年の時を経て、差出人に読ませるなんてなんてドSなんだこの人はと思いながら読んだのですが、恥ずかしい半面、懐かしさなどもあってなかなか面白くもありました。

僕は割と最近まで文章を一番上手に書けていたのは大学生の頃という認識を持っていたのですが、その手紙にあったのは誰かの影響、その時読んだ何かの模倣に味付けされた文体で決して自分が思っていた伸びやかで自由な文章ではありませんでした。むしろ本屋をやっていた最近の方が堅実ないい文章を書いている様に思えました。そういう発見があったのでこの体験自体は嫌なものではなかったですが、その手紙を第三者に見せる気なんてありませんし、墓場まで持って行こう。なんなら今から焼くか。と思うくらい恥ずかしかったので「夜中に文を書くな」もそうですが「出した手紙は見直すな。」という事も強く申し上げたいと思います。

今回は少し長くなってしまったので写真3枚にしてみました。次お便りを書く頃はこちらも暑くなってそうな気がします。小泉さんからの展示のお話とイラストレーター話、楽しみしています