日々ごはんは作るより考えるのが大変だ(ウエハースより)

ぎゃぽー!

お手紙開いた途端、はぎちゃんの可愛さに変な声が出たウエハースです。お手紙ありがとうございます。はぎちゃん可愛いですね。輝いていますね。ダイヤモンドシャイニーですね。萩焼の萩は小京都と呼ばれるだけあって綺麗な街だったと記憶していますが、はぎちゃんの可愛さには松蔭先生もきっと降参してしまうことでしょう。
それにしても多頭飼い憧れます。猫同士がくっついて丸くなっている様などまさに垂涎の光景。
小泉家では猫は焼き物にちなんだ名前になることが多いのですね。何か理由などあれば聞いてみたいです。焼き物にちなんだ名前になることが多い中でかんじろう、おとじろうと焼き物ではない名前もきちんと(?)いるのでそうなった理由などもあればそちらも併せてお聞きしたいです。

ちなみに我が家は決めてるわけではないのですが今のところ2文字(二音)の名前が定番になっています。ムク、ユマ、ミミ、セナ。みんな可愛い2文字(「可愛い」は「2文字」ではなく「猫」にかかる)。
なおユマは厳密には母はユメコ、姉はユメ、父はチビ、でしたが……。またミミは初めからそういう名前の8歳の子だったので自分たちで名付けたわけではないのですが、この子も2文字の名前でした。

「命の輝き」でセナ(今我が家にいる4歳の猫)が生後3ヶ月くらいで我が家に来た時の事を思い出しました。以前お店のはてなブログにも書いていたのですがセナが家に来る半年ほど前に、ミミのという8歳の猫を引き取って僅か1ヶ月で亡くすという経験をしました。セナが家に来た時、ミミが来た時に設置したケージが残ったままだったり、僕は今から振り返ると結構なペットロス症候群状態だったように思います。
でもセナが来た途端「このケージは子猫には危ない」とすぐに片付けられたり、ペットロスの寂しさもその輝きで見えなくするなど家の中でどこか滞留していた空気をぱぱーん、キラキラー!と眩しく一掃してくれました。若さってそれだけでなんか輝いていますよね。往々にして当人達は無自覚だと思いますが。

  

それにしても小泉さん、てんこ盛りのお忙しい日々でしたね。まずは何より(散々「はぎちゃん」と大騒ぎしておいてどの口が「まずは何より」と書くか)新刊発売おめでとうございます!写実的だったり、デフォルメした画風だったり幅広いタッチで描く小泉さんならではの一冊なのではないかとワクワクしています。幅広い画風の理由が「飽きっぽい」からだったとは!
御献本を検討してくださりありがとうございます。海を越えての準備、本当にご面倒だと思うのでんびりとお待ちしております。

新刊の準備やPRに、新しい家族の受け入れ、さらには引越しの検討など日々の忙しさの中、同時に毎日流れてくるパレスチナの悲惨な状況などに接しているのは心身へのかなり負担だったのではないかと思います。早期に底から浮上できてよかったです。
僕は季節の変わり目にほぼ確実に体調を崩すので、その時期は心もダウンしやすくなったりするのではないかと思います。引き続きどうぞご自愛ください。

ご質問のあったパレスチナの件、オランダは国としてはイスラエルに武器を輸出したり支援している国になります。ただ一方でやはりパレスチナに関するデモ、アクションはよく見かけます。街のあちこちにパレスチナの国旗、スイカ、あるいはそれを模したステッカーが貼られているもの見かけますし、家のベランダにパレスチナの旗を掲げているのも見かけます(逆にそういう場所でイスラエルの旗を掲げていたりするのは今のところ見たことがありません)。
オランダでは川が多いせいか子どもがちゃんと泳げるようになるために水泳に通わせる事が義務に近い形で推奨されいるのですが、息子が通う水泳のクラスで一緒になるお父さんとハーグの国際司法裁判所の決定についてなど話したりしましたが、特に「話しちゃダメなこと」という感じでもないように思いました。ただパレスチナの虐殺よりロシアのウクライナ侵攻の方がより身近な出来事と捉えているように感じます(これは実際にウクライナからの避難民が多くいるからというのもあると思います)。

そういえば8月にユトレヒトという街にあるオランダ鉄道ミュージアムに行ったのですが、そこに第二次世界大戦中にユダヤ人を移送する際に使用した貨車(客車ではなく貨車!)が展示されていました。こんな粗雑な木の貨車にギュウギュウに詰め込まれ、物として移送された経験を持つ人たちが作った国家がどうして今……。という気持ちがどうしても湧いてきてしまいました。

少し追記するとオランダ鉄道は2018年に自社の鉄道を通じてナチス・ドイツの強制収容所へ運ばれた個人に対して賠償金を支払うと発表しています。きっかけはホロコーストを生き延び、オランダのサッカーチームであるアヤックスで理学療法士をしていたサロ・ムラーさんとの話し合いだそうですが、ホロコーストを生き延びた人がオランダで普通に仕事をしていたなんてと、隣国は海の向こう、なんなら国内だって場所によっては海の向こうという国に生まれた自分からするとなかなかピンときませんが、言われみれば当たり前の近さを感じる出来事でした。

と同時にオランダはこういった負い目があるからイスラエルの支援を止めないのかなとも思ったりもしています。国と個人は別。と思っていますがこういう国対国という関係性で炙り出される構図にしばしば歯痒さを覚えます。

  

こちらといえば、長袖やパーカーを羽織る日々なのですが、9月1日に16キロのランニングの大会に出たその日は大変暑く、気温が29度くらいまでになりました。5月に出たライデンマラソンでもそうですが大会に出る日に限って暑い日になるってなんか呪われてるのか?と思わないでもないですが、それでもなんとか走れる気温だったので良しとします。今お手紙を書いているこの週もまた少し暖かくなって日中は23、4度くらいまで上がるとの予報で、実際に午後の日差しにはまだ夏の余韻を感じます。ただ朝夜は長袖でも肌寒いという感じで、1日の寒暖差が結構激しいです。ちなみに先週は最高気温が15度以下の日が何日かありそこでてきめん体調崩してしまいました。

先生業は少し慣れてきたと感じる一方で、まだまだ改善しないとなぁと思ったりしています。なかなか難しいのは「現状、日本語をそこまで必要としていなく、接してもいない生徒」に対して馴染みのない日本の歴史や地理、公民といった科目にしか出てこない用語をいかに覚えてもらうかが悩ましいです。ノートに書いて覚えてもらうという昔ながらのアナログな方法しかないのではと思うのですが、人によっては漢字が苦手だったりしてノートに日本語を書く事自体が結構大変な生徒などもいるので、どうバランスを取るのがいいか見極めがつきません(そしてなぜか一部生徒にはこちらの往復書簡の存在を知られてしまい、学校のことを書くたびにニヤニヤされます。「命の輝き」じゃないですけど中学生達もなかなか輝いててぱぱーん!って感じです)。

オランダに来て今更のように気づいたのですが、日本語は平仮名、片仮名、漢字と三種類の文字があってそれらをしっかり習得しないと書けないし、読めないという結構ややこしい言語ですよね。オランダ語も英語同様、基本アルファベットなのでそれさえ覚えれば「意味はわからないけれど、とりあえず読める、書ける」となると思うのですが日本語は小学校高学年くらいまで漢字を学び続けないと、一般的な本とかを読むようになれないってなかなかの難易度だなと思っています。そんな言語を挫けずに学びつづけるのはそれなりにモチベーションが必要だよなと思ったりしています。

近況その2としては、先日連れ合いが出張のため1週間ほどワンオペ育児状態でした。こちらでは学校給食がないので毎日お弁当を用意、またご飯の支度もしないといけなくて気の休まらない1週間でした。幸いお弁当も朝ごはんも「定番のいつもの」みたいな感じで用意すれば良かったので、そこはそこまで大変じゃなかったのですが夕飯……。
毎日何を「作る」かではなくて、今日は何を作ろうかと「考える」のが本当に大変でした。僕は一人暮らしの経験があって、自炊もその時していたのでそれなりにできるのですが、「食べるのはどうせ俺一人やし適当でいっか」とはいかず、ちゃんと考えないとなので1日の大半が「今日ご飯何作ろうか?」に支配されていました。
しかも「今日の夕飯はこうしよう。じゃあ鶏肉解凍しておこう」と備えていたら「今日パスタ食べたい」とリクエストが入ったりして予定を急遽変える必要があったりとかもして……(しかも理由は「昼にパスタ食べたから」!!普通昼にパスタ食べたら夜は違うもの食べたくならんのかい?)。
日々の献立どうやって考えていますか?もし夫婦で作る日を分担している場合、どうやって「後日使おうと思っている食材を相手に使われないように」工夫していますか?
家事する上での永遠の課題の一つなようにも思いますがなかなか難しいです。

家事といえば、小泉さんのお手紙に引っ越すかもしれない家があって、ただ住むにはリフォームが必要だとありましたが、オランダではリフォームも基本自分でするDIYの精神が息づいています。今住んでいる家もリフォームしたての物件だったのですが、多分結構な部分を「大家さん(あるいはその知人の素人)がリフォームしてるなこれ」という感じで食洗機の扉を開け閉めするたびにキッチンの下を覆っている板に当たってその板が倒れるという日々を過ごしています。この1年だけでも天井の照明3箇所交換(しかも使われている照明が古くて、すでに同じ型番でもモデルチェンジしててサイズとか変わってしまいそのまま付け替えできない)、キッチンの棚のガタ付き修理(留め具の箇所をみたら「えっ?こんな心細いもので支えていたの?!」とびっくり)、冷蔵庫の扉の修理(この冷蔵庫もだいぶ古そう)、シャワーの混合栓の交換(おかげでしっかりと熱いお湯が出るようになったよ!)とあちこち取り替えたり、修理したりしていてその度に「こんな適当なの?こんなしょぼい感じなの?」と驚いています。修理を終えるたびに内装屋やれるんでは?という気持ちにすらなります。
つい先日はIHコンロの交換(こちらも10年以上前のモデルだったようです)する事になり、作業しましたがコンロに関してはは基本規格が一緒のようでスムーズに交換できるかなと思ったら、コンセントプラグがゴツくてそこがキッチンの裏側の真ん中あたりにある背板にぶつかって下まで降ろせないと四苦八苦していました(なんでその分の幅を取れるようにしなかったのか?謎です)。どうにか交換も終わってやれやれと思ってたのですが、今度はこども部屋の照明が壊れました(まだ交換してない)。こうしてDIYは今日も続く。

「生きてるとのぼりくだりのエブリデイ」は短歌にもなりそうないいリズムの言葉だなと思いながら今回も長くなってしまったので、そろそろここら辺で終わりたいと思います。
慣れてきたのか、なんだかお話ししたいことがブワーッと次から次に出てきていてしまいました。
日本もこれから急に寒くなったりする(はず)の季節ですのでどうぞご自愛ください。